不動産屋のおもしろ話 第十八話
海の日の3連休も終わり。
夏真っ盛り!とはいかず全国的に荒天の日々が続いておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
函館もずっと悪天候で旬のサバ釣りにも行けず、庭の農作業もままならないので3カ月ぶりのブログ更新でございます。
夏とアートと私
先日、テレビで「漁師に駆除(刺殺)されたウミガメの死体が大量に打ち上げられる」という痛々しいニュースを見た。
「漁の被害甚大」という漁師の言い分もわからないわけではないが、やり方がよくない。
そこで他に方法はないものかと、ビールを飲みながらぼんやり考えていたら、人と動物の共存を描いているラッセンの絵を思い出した。
「ピカソより~、普通に~、ラッセンが好き~」
満面の作り笑顔を浮かべ、半端なロン毛をかき上げながらそう叫ぶピン芸人を覚えているだろうか。
一瞬でもこのネタが流行ったのは「ピカソよりラッセンが好き」という感覚に、人々がある程度共感を得たのだと思う。
私も若いころはラッセンと天野喜孝の絵が好きで、販売している会社に採用面接に行ったことがある。
今後の一層のご活躍をお祈りされて終わったけど。
そんなラッセンも現在のスタイルに至る前は、ピカソのキュビズムに似た印象派な絵を描いていたことはあまり知られていない。
「ピカソってよく分からない」「へたくそじゃん」「子供の落書き」「俺の方が上手だね」といった意見はよく聞く。
ピカソの絵は本当に美しいのか。どうして「あんな絵」に高い値段がつくのか。
そうした疑問にストレートに応えてくれる本がある。
タイトルはそのものずばり、『ピカソは本当に偉いのか?』(西岡文彦著)だ。
この本の中で大学教授の著者は、「伝統的な審美眼の観点から言えば、ピカソの絵は美しくない」と言い切っている。
ピカソはわざと伝統的な審美眼を挑発し、否定しようとした。だから、あえて「美しい」と思えない絵を描いた。
普通の人がピカソの絵を見て「美しい」と思えないのは至極当然なのだ。
ただし、ピカソの絵は下手なのではない。むしろ、超絶にうまい。
だからこそ「うまい絵」の文法を完璧に理解した上で、みんなが顔をしかめるような「美しくない絵」をわざと描けたのである。
学生時代、それに気が付いた私はどうしてもピカソに触れたくなって、旅費を貯めてヨーロッパに確かめに行ってきた。
一番の目的はそう、絵画に興味がある人でなくても一度は見たことがあるだろう、あの「ゲルニカ」である。
この絵は戦争によって与えられる恐怖や苦しみ、悲しみといった人間の普遍的な感情が示されている。
右端の炎に包まれておののく女性、左下には折れた剣を握ったまま絶命している男性、さらには殺された子どもを抱いて絶叫している左端の女性など、それぞれの姿を大胆に変形して動作や表情を強調することによって、その感情をすさまじい切迫感をもって見る者に伝える。
昔、年賀状に冬景色の点描画を描いていた私は、この衝動を抑えられず「絵画の点描模写」で小さな個展を開こうとまで考えていた。
当時、私からこの年賀状を受け取った方は大切にしてください。
もしかしたら価値がつくかもしれません。
私は亡くなってから評価されるゴッホよりも、生前に売れるピカソでいたい。
このブログも10年位続けたら、そのうち出版社から書籍化の話が来るかもしれない。印税妄想((o(´∀`)o))ワクワク。
いったい何を目指しているんだか。
画家? 作家? 漁師? 農家?
ラッセンより普通にピカソがすきー。