不動産屋のおもしろ話 第三話
さて、不動産屋のおもしろ話も第三話。
2月22日は猫の日で私の親父の命日でもあります。
猫好き故、今回はちょっぴりセンチに文学脱線。
写真は管理物件のゴミ箱に捨てられていた子猫を保護し、そのまま我が家の娘になった「こまめ」ちゃんです。
ゴミ箱に猫捨てちゃいかんよヽ(`Д´)ノゴルァ‼。
猫と花火
あなたは隣人の顔を知っていますか?
最近の賃貸住宅では上下や両隣の住人を把握している人はほとんどいないだろう。いや、いたらむしろ恐い。
「汝の隣人を愛しなさい」という人もいたが、顔も知らないし、むしろ騒音で迷惑感じている人の方が多いのではないだろうか。
まぁ、この場合の隣人は住人ではないが、家族や親せきですら距離をとらなければいけないこのご時世、自分以外を愛する余裕のある人なんてごくわずかでしょう。
有名な絵本に、こういう話がある。
その猫はいつも飼い主に愛され、死んだ時はいつも泣かれるのに、100万回生まれ変わっても、高慢な性格は変わらない。
いろんな所に生まれ、愛されるが、その度に飼い主を嫌う。
ある日、彼は野良猫になる。
イケメン猫なので、メス猫にモテるがまるで興味がない。そこに白く美しいメス猫が現れる。
しかし自分に関心をしめさないのを見て取ると、彼は白猫の気を引こうとする。
宙返りをしたりいろんな努力をした末、二匹は一緒に暮らすようになり、子供ができる。
そして白猫と子供がとてもかわいくなる。初めて自分以外を好きになったのである。
時が経ち白猫は死ぬ。
彼は大泣きに泣く。はじめて泣く。いままで長く生きただけ泣く。そして時が経ち、彼もまた死ぬ。
すると、この100万回生きた猫は、もう二度と生まれ変わることはなかったという。
なぜ彼はもう生まれ変わることが無かったのか。
この本は、私が生きることの意味を考えることになるきっかけになった。
文豪、芥川龍之介は言う「人生は花火のごとし」と。
たしかに身体はやがて消滅(死ぬ)以上、その意味では人生は儚い。
しかし自分で考え、言葉や作品にした精神は身体が消滅しても残り続ける。その意味では人生は永遠である。
人生が儚いか永遠かは、自分の生き方で決まるのである。
私も今までたくさんの花火大会を見てきた。
大会のフィナーレ、連続花火の打ち上げ音が地響きのように響く。
空一面、視界いっぱいに光が瞬く。
雷鳴のごとく大きな音を響かせ、光は散り、消えていく。
その瞬間会場はひとつとなり、拍手をし、隣人同士が喜び合い、100万人が喜びを共有する。
100万回生きた猫より、100万人と喜ぶ一瞬を私は見たい。
今夜は「はこだて週末冬花火」。
それではまた来週~。